2020/08/17 21:44
こんばんは。Lemuriaの辻本です。
いつも記事を読んでいただきありがとうございます。
本日は、「意識高い系」についてお話させていただきます。
1、「意識高い系」の定義
まずは「意識高い系」と呼ばれる方の定義から。
意識高い系(いしきたかいけい)とは、自分を過剰に演出する(言い換えれば、虚栄心が強い)が中身が伴っていない若者、前向きすぎて空回りしている若者、インターネットにおいて自分の経歴・人脈を演出し自己アピールを絶やさない人などを意味する俗称である。
大学生に対して使用されることが多いが、ビジネスマンや主婦など若者・学生以外の層に対して使用される場合もある。「意識高い系」の特徴として、自己啓発(ボランティア・政治)活動や人脈のアピール、あえて流行のカタカナ語を使うなどが挙げられる。嘲笑の対象として「意識高い系(笑)」と表記されることもある。
2、「意識高い系」の人が生まれる原因
そもそも、「意識高い系」と人々の中には、「一生懸命勉強・仕事をしない人間は愚かだ」「意識を高く保たなければならない」という判断基準が存在しています。
なぜこのような基準を有しているかといえば、「一生懸命ではない自分・ありのままの自分」=「価値がない」という思い込みがあるからです。
そして、この無価値感という思い込みが生まれた背景には、日本の教育制度があります。
日本の学校教育において、「あなたには価値がある」という趣旨の指導を受けることはほぼありません。
むしろ、過度な偏差値競争を通じ、合否は総合点で評価され、苦手なところを克服すべきであると、足りないところにばかり目を向けるように洗脳を受けます。
すなわち、「国語ができる自分にはこんなに価値がある」ではなく、「算数ができない自分には価値がない」という思考を刷り込まれるのです。
その結果として、「自分には価値がない」という考えが深く根付いていき、なんとか自分に価値を付けようとして、外部の正しいとされる基準に頼るようになります。
すると、学生の時期はもちろんのこと、卒業後社会に出てからも、社会的評価(他人軸)に依存した人間が出来上がるのです。
そして、特にきかっけのない限り、「社会的に認められる自分でなければ価値がない」というドグマ(思い込み)からは脱却できません。
このように、無価値感に洗脳されてしまった成果物のひとつが、「意識高い系」と呼ばれる方々なのではないでしょうか。
3、「意識高い系」の特徴
「意識高い系」の方々は、自己無価値感の裏返しとして、社会的に褒められる部分を過剰にアピールします。
例えば、「ボランティアに専念している」「広い人脈を有している」「高い志を持っている」など。
上記は、全て社会的評価が伴う性質の行動で、内発的動機に基づく行動ではありませんね。
このような他律的な動機から行動した場合、自分の心に原動力はありませんから、他人からの評価がなければ(「すごいね」と褒められなければ)エネルギーが枯渇してしまいます。
そこで、他人からの評価を渇望するあまり、「自分はこれだけ意識の高い(評価される)行動を取っているんだぞ」というアピールを始めます。
そして、このような姿が側から見て滑稽なので、嘲笑的な表現として「意識高い系」というワードが一般化したのではないでしょうか。
4、まとめ
以上述べたように、意識高い系の方々は、無価値感の裏返しなのであり、自分の欲求に素直になれていない人ともいえるでしょう。
Lemuriaでは、「好きなこと」を素直に表現し、それでいて豊かになれることを体現することで、「自分には価値があるんだ」ということを思い出すきっかけとなれば嬉しいです。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。