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2020/08/06 19:00

こんばんは。Lemuriaの辻本です。

いつも記事を読んでいただきありがとうございます。

今回は、「人間的な成長」についてお話したいと思います。



1、世間のいう「成長」とは

よく使われる、「人間的な成長」という言葉。

社風を説明するときに、「みんなが成長できる環境です」とか、

「ここを乗り越えれば成長できるよ」なんて使われ方もします。

反対に、「ここから逃げたら成長できないぞ」なんてネガティブに使われたりもしますね。

では、具体的に「成長」ってなんでしょうか?

どんな辛く苦しいことでも耐えて、忍耐強い人間になることでしょうか?

反対に、嫌な環境から出ず、我慢ばかりしていると、自分の中のエネルギーが不足し、

最後には病気になってしまうのではないでしょうか。

もちろん、病気になることが成長ではありませんよね。

また、前回の記事(自己重要感)でも触れたように、そのような我慢を繰り返す人は、他人にも我慢を強要しますから、

そんな人が増えれば、お互いに楽をしていないか監視し合う、息苦しいコミュニティーを形成してしまいます。


そして、仮に忍耐力の形成が「成長」だとして、最後はどうなるのでしょう?

人は死にますから、ひたすら我慢して、最後は死んで終わりでしょうか?

そんな人生は楽しくないですよね。


では、宗教的に、「成長」とは悟りに近づき、キリストやブッダのような聖者になることをいうのでしょうか?

仏教でいう悟りとは、変化しないものは何もない、という真理を理解し、何事にも動じなくなった心の安寧を指します。

それでは、会社や学校で「人間的な成長」を繰り返すことで、悟りを開くことができるのでしょうか?


何が言いたいのかといいうと、世間のいう「成長」とはわかったようでいて、意味不明な概念だということです。

そんな漠然で不確かな言葉に説得され、学校・会社などで我慢をしている方は多いのではないでしょうか?

楽な方向に流れては、「成長」できないからといって、必死に仕事・勉強に努める。

反対に、少しでも「成長」しなければ、自堕落で無価値な人間になってしまうという恐れが背後にある。

「人間的な成長」という言葉の裏には、強烈な自己無価値感が潜んでいるのではないでしょうか。


ちなみにこの言葉、支配者・権力者側からはとても都合のいいワードです。

なぜなら、劣悪な労働環境であっても、愛のない人間関係であっても、

「人間的な成長」を免罪符として、いくらでも我慢を強要できるのですから。。。


2、Lemuriaにおける「成長」

ところで、私たちLemuriaは、愛は感謝と尊敬である、と捉えます。

そして、Lemuriaにおける「成長」とは、心がより愛(感謝と尊敬)に近づくこと、と考えます。

そして、心を愛に近づけるには、自分自身が好きなことをして、ご機嫌で満たされれば良いのです。

少しでもご機嫌な方を増やし、愛に基づく社会を実現したい。

皆様にご機嫌になっていただけるよう、喜んでいただけるよう、私たちも愛を持って「成長」していきたいと思います。

間違っても、成長のために我慢を強要することはありません(笑)

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。